東日本大震災への誓い

OATH

震災から復興へ

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東日本大震災の誓い

 2011年(平成23年)3月11日14時46分。岩手県沖から茨城県沖の広い領域を震源地とする東北地方太平洋沖地震が発生しました。

 地震の規模は観測史上最大のマグニチュード(Mw)9.0とされ、須賀川市は最大震度6強の激震に襲われました。

 震源地が広範囲で複数の地殻破壊が連続して起きたため揺れの時間が5分間以上続き、昭和45年築の本社須賀川工場は3階建て部分から倒壊しました。

 当時、建物内には128名が居り、倒壊した3階建て部にも52名の社員が仕事をしていましたが、幸いにも一人の犠牲者も無く全員無事に避難することができました。

 建物の損壊状態は甚だしく、約7,900平米が使用不能になり、落下した天井の梁に圧し潰された工作機械のみならず、同時に発生した火災によって貴重な技術データの多くを失いました。

 3月14日から組織した復興委員会で立ち直りへの道筋を模索するなか、同月23日には幸運にもセイコーインスツル株式会社様ご所有の同市内の工業団地にある工場施設を借用することができ、生産再開への望みを託すことができました。

 未だ余震が続くなか、小型の機械装置の移設から始め、4月15日には研磨・組立工程が再開、大型機械の移設も社員だけの力で行い切削工程も5月20日には稼働再開、そして比較的損傷の少なかったプレス工程は元の場所に残したままで建物の補強工事を進め、6月6日には全工程の再開を果たしました。

 それから2年弱を経た2013年1月21日、念願の新社屋が竣工しました。

 この社屋の再建にあたっては、経済産業省中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業の第2次公募において事業採択していただき、復旧に向けた希望と勇気をいただきました。

 震災から2年目を迎えた今日、被災地全域で一万八千五百有余名の犠牲者、最大時四十万人を超える避難者、そしていつ終わるとも知れない東京電力福島第一原子力発電所の事故を思うと当社がこの地に戻れたことは大変有り難い事との思いがこみ上げます。

 私たちは、この感謝の思いを決して忘れず、ご支援くださった皆様、そして当社を育ててくれた地域に貢献することをここに誓います。

平成25年3月
林精器製造株式会社