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「めっき」って何だろう? ~歴史編③ 近代日本のめっきの発展~

2022-07-07

前回の記事: 「めっき」って何だろう? ~歴史編②~

 

めっきの歴史について


 

 

電気めっきを日本に広めた人物

前回のコラムでは、1805年にイタリア人によって発明された電気めっきについて紹介をしました。
この新しいめっき技術が日本に伝わったのは、1850年頃(江戸時代幕末)だと言われています。
川本幸民という蘭学者が島津斉彬(後の薩摩藩藩主)に電気めっきを紹介し、
ダニエル電池を用いて甲冑・鎧などに金めっきや銀めっきを行ったのが始まりです。

余談ですが、川本幸民は日本で初めてビールの醸造を行った人物でもあります。
その他にもマッチや銀板写真の試作品を発明するなど様々な功績を残していることから、近代日本の化学の祖とも言われています。
また島津斉彬は、下級武士であった西郷隆盛や大久保利通を登用した藩主として有名ですが、ガス灯実験の推進など科学的な分野においても様々な活躍を見せていたようです。

日本における電気めっきの工業化

当時、日本のめっき業は職人技術または家内制工業的なものでした。
ダニエル電池等を用いてめっき処理を行っていたため電流が少なく、工業化が困難な状況だったのです。
しかし明治時代後半、大容量の直流電源が得られる装置が開発されたことにより、工場制度化への道が急速に発展しました。
代表的な例が、1887年(明治20年)に宮川由多加の設立した宮川電鍍工場であり、これが日本初の電気めっき工場だと言われています。

ニッケルめっき・クロムめっきの発展

1892年(明治25年)、宮川由多加は日本で初めてニッケルめっきの工業化を実現しました。
ニッケルめっきは、家具・食器・医療器具・自転車部品など、身近にある様々な品物に用いられました。
当時は光沢めっきの技術がまだ確立されていなかったため、めっき処理後にバフ研磨を行うことで艶のある表面に仕上げていました。

また驚くべき事に、当時ニッケルめっき液の管理は比重の確認と「舌」による検査で行われていました。
人がニッケルめっき液を舐めて、「甘い」・「辛い」の勘で判断していたそうです。
ニッケルは食品などにも含まれる成分ですが、味覚を使って管理するというのは現代にはない発想ですね。

その後もめっき技術は発展を続け、1930年頃(昭和初期)にはニッケルめっきの上にクロムめっきが行われるようになりました。
ニッケルめっきと比べて耐食性が高く見た目もきれいに仕上がるため、自動車部品などにも使われました。

 

ニッケルめっき(ヘアライン)

ニッケルめっき(ヘアライン) 

クロムめっき(光沢)

 

その後もシアン化銅めっき・亜鉛めっき・錫めっきといった様々な処理が普及し始め、この頃からめっきの工業化はますます広がりを見せていきました。

 

現代のめっき技術

1950年以降、めっき技術はあらゆる分野に応用されていきました。
これまで問題視されていた環境への影響にも対応したうえで、幅広いめっき処理工法が確立しました。
金・銀・プラチナ・ロジウムといった装飾品へのめっきはもちろん、防食性の高い亜鉛めっき・錫めっき、装飾性と防食性を兼ね備えたクロムめっき、工業用の硬質クロムめっき、さらにプリント回路基板への機能めっき、弊社の得意とするABS樹脂などの非導電性(電気が流れない)物質へのめっきと、時代が進むにつれて様々な処理が行えるようになりました。

 

ABS樹脂へのめっき処理品

ABS樹脂へのめっき処理品

ABS樹脂へのめっき処理品

ABS樹脂へのめっき処理品

 

現代ではその他にも紹介しきれない数のめっき技術が活用されています。
これらは今後も途絶える事なく、あらゆる分野に展開されていくことと思います。

 

「めっき」って何だろう? ~歴史編③ 近代日本のめっきの発展~ おわり
以上、3回に渡りめっき技術の歴史についてお話をさせていただきました。
次回からは、現代の表面処理技術について詳しく紹介していきたいと思います。

次の記事 ⇒ 「めっき」って何だろう? ~種類と仕組み編① めっきの種類と分類~